熊本県には1,000を超える神社があり、どれも歴史の長い神社で、それぞれに特徴があります。
そのなかでも、今回は熊本市北区にある「代継宮」についてご紹介いたします。
交通アクセスが良好で行きやすいため、熊本市北区にお引っ越しを検討されている方は、ぜひご参考になさってください。
▼ 物件情報が見たい方はこちらをクリック ▼
熊本市の賃貸物件一覧へ進む
熊本市北区にある「代継宮」の概要
本章では、代継宮の御由緒と御祭神についてご紹介いたします。
御由緒
961年に肥後の国司として赴任した紀師信公は、茶臼山南麗(現在の花畑公園)に肥後の国の守護神として祀りました。
その後、宮城の四隅に木を植えて四木宮と呼ばれるようになったのが代継宮の始まりです。
1602年、国主の加藤清正公が熊本城を築城する際に、茶臼山から本荘の白川河畔に社を移しました。
1637年、藩主の細川綱利公は幼少で襲封され、これを神徳の加護として旧来の「四木宮」を「代継宮」と改称し、神号の額を奉献しました。
1781年、細川重賢公が社殿を造営し、先祖の細川藤孝公を合祀して、和歌管絃祭をおこなったそうです。
そして、白川改修工事に伴い、1989年には現在の場所(立田山東峰天拝山頂上)に社殿を建てて遷座しました。
御祭神
代継宮の御祭神は、5人います。
1人目は、「住吉大神(すみよしおおかみ)」です。
住吉大神(すみよしおおかみ)とは、上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命の三神の総称で、祓を司る神として信仰されています。
2人目は、「応神天皇(おうじんてんのう)」です。
応神天皇(おうじんてんのう)は、弓術の達人として知られ、武の神や成功と繁栄をもたらす神として信仰されています。
3人目は、「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。
神功皇后(じんぐうこうごう)は、安産祈願や子育大願のご利益があるとされています。
4人目は「紀貫之朝臣(きのつらゆきあそん)」です。
紀貫之朝臣(きのつらゆきあそん)は、日記文学の「土佐日記」を書き上げたとされています。
5人目は、細川重賢公が合祀した「細川藤孝朝臣(ほそかわふじたかあそん)」です。
●所在地:熊本県熊本市北区龍田3丁目25-1
●アクセス方法:「竜田口駅」より車で7分・バス停「迫屋敷」より徒歩17分
▼この記事も読まれています
熊本県熊本市中央区にあるおすすめの歯科医院3選
▼ 物件情報が見たい方はこちらをクリック ▼
熊本市の賃貸物件一覧へ進む
熊本市北区にある「代継宮」の特徴
本章では、代継宮のいくつかの特徴についてご紹介いたします。
代継太鼓
1778年、肥後藩の名君と称された細川重賢公の治世に、府中で大火が発生しました。
この火災で代継宮も被害を受けたうえ、同じ年に病気も流行り、庶民の苦しみを目の当たりにした藩主の重賢公は心を痛めたそうです。
そこで、以前から信仰していた代継宮を再建し、代継太鼓を奉納しました。
連帯感・心のふれあいを取り戻し、庶民の生活が立て直るよう祈り、太鼓の音で活気づけました。
そして、代継太鼓は今も大切に受け継がれています。
天の浮橋
代継宮は、「天の浮橋」があるのが特徴です。
古事記によると、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」は天の浮橋に降り立ったとされています。
その後、一緒に「天の沼鉾」を持ちながら、日本の国を創り上げたとされており、天の浮橋は天と地をつなぐ浮き橋とされています。
天にもっとも近い神の御橋で愛の始まりの場所といわれているため、大切な方と永久の愛を誓うのがおすすめです。
天の浮橋の渡り方は、縁結びを祈願する方、良縁を祈願する方、悪縁を断ちたい方、それぞれで異なります。
まず、縁結びを祈願する方の「天の浮橋」を渡る方法をご紹介いたします。
男性は「別れ橋」の対岸から、女性は「出会い橋」の反対側からお互いに進む必要があり、スタート位置が逆にならないよう注意しましょう。
そして、中央で本殿に向かって一礼してから、ともに「出会い橋」のほうに降ります。
次に、良縁を祈願する方の「天の浮橋」を渡る方法をご紹介いたします。
良縁を願い「出会い橋」から進み、「別れ橋」で降りると、効果があるとされているのでぜひお試しになさってください。
最後に、悪縁を断ちたい方の場合は、願いを祈願し「別れ橋」から進み、「出会い橋」で降ります。
参拝祈願
代継宮は歴史ある神社で、家督相続祭、後継者継承、安産祈願祭、子宝の神として信仰されています。
同時に、家族の安全や病気の治癒、試験の合格、素敵なご縁の成就、商売繁盛を遂げられるよう御祈願をしています。
また、参勤交代時代には安全祈願祭がおこなわれ、交通安全の神としても崇敬されているのが特徴です。
このように、ご祈祷の種類が多いことが魅力で、地域の方が多く訪れます。
なお、ご祈願・ご祈祷の時間は、8:30~16:00までのため、時間に遅れないよう注意が必要です。
そして、代継宮は、家のお祓いや開店・開所のお祓いなど、出張祭典もおこなっています。
▼この記事も読まれています
熊本県熊本市中央区にあるおすすめの内科クリニックを3つ紹介
▼ 物件情報が見たい方はこちらをクリック ▼
熊本市の賃貸物件一覧へ進む
熊本市北区にある「代継宮」の年中行事
本章では、代継宮でおこなわれる年中行事についてご紹介いたします。
春季例祭
4月頃におこなわれる春季例祭は、重要な祭事「例大祭」のなかの1つで、春におこなわれる行事です。
その年の豊作を祈る祈年祭や春の氏神祭り、疫病除却を祈願する疫神祭などがあります。
祈年祭は、飛鳥時代より始まったとされており、歴史の長い行事です。
そして、11月頃になると実りへの感謝を伝える「新嘗祭」という行事がおこなわれるのが一般的です。
疫神祭の始まりは、医学が発達していない時代に人知で治せない病気を、神のしわざであると信じたことからとされています。
その神を疫病神と呼び、疫神は花が散ると同時に広がると考えられ、毎年花の散る前に疫神祭がおこなわれたそうです。
曲水の宴
5月頃におこなわれる曲水の宴は、1050年祭の行事として2010年11月より始まった行事です。
曲水の宴は、水の流れる庭園で参加者が座り、流れてくる杯が自分の前を通るまでに詩歌を披露します。
そして、時間内に詩歌を披露できなければ、罰として盃の酒を飲むという行事です。
略して曲水、曲宴ともいわれており、熊本県ではじめて曲水の宴を開催したのは代継宮です。
曲水の宴をおこなう際は、色とりどりの平安時代の装束を身に付けた参加者が庭園に集まります。
その光景を見ると、平安時代にタイムスリップしたかのような感覚になるでしょう。
また、一見優雅に見える曲水の宴ですが、時間内に詩歌を披露する必要があるため、瞬発力が試されます。
夏超祭
7月末頃におこなわれる夏超祭は、新年が始まって半年経った時点で、身についた穢れを清め、災厄を祓うための神事です。
多くの神社でも同様におこなわれる「茅の輪」という神事を代継宮でもおこないます。
茅の輪とは、神話の時代、須佐之男命が一夜の宿を借りたお礼に茅で作った輪を贈ったことからはじまりました。
この輪には疫病を祓い除ける力があるとされ、それから夏の前にあたる7月に茅という草で編んだ輪をくぐるようになりました。
そして、茅という草で編んだ輪は、直径数m程度で、そのなかを8の字に3度くぐりぬける必要があります。
また、くぐりぬける際は、「神拝詞」を心のなかで唱えます。
▼この記事も読まれています
熊本県熊本市中央区にあるおすすめの整形外科をご紹介
▼ 物件情報が見たい方はこちらをクリック ▼
熊本市の賃貸物件一覧へ進む
まとめ
今回は、熊本市北区にある「代継宮」についてご紹介いたしました。
住吉大神や応神天皇を含む5人の御祭神がいる神社で、家族の安全や病気の治癒、試験の合格などの御祈祷をしています。
2010年より始まった曲水の宴では、色鮮やかな衣装を着た参加者たちが詩歌を披露するため、タイムスリップしたかのような気分を味わえるでしょう。
▼ 物件情報が見たい方はこちらをクリック ▼
熊本市の賃貸物件一覧へ進む