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日本三名城のひとつ!熊本市中央区にある「熊本城」についてご紹介

日本三名城のひとつ!熊本市中央区にある「熊本城」についてご紹介

「熊本城」は、誰もが一度は耳にしたことがあるかと思います。
しかし、いつ建築されたのか、どのようなイベントをおこなっているのかなど、分からない方も少なくないでしょう。
そこで今回は、熊本市中央区にお引っ越しをご検討中の方へ向けて、熊本城の概要、見どころ、楽しみ方についてご紹介いたします。

熊本市中央区にある「熊本城」の概要

熊本市中央区にある「熊本城」の概要

熊本城は日本三名城のひとつに称されており、熊本市のシンボルとして知られています。

熊本城の築城主「加藤清正」について

熊本城は、加藤清正によって建城されました。
加藤清正は尾張(現在の愛知県西部)出身ですが、27歳のときに肥後(現在の熊本県)に入ったとされています。
一度は耳にしたことがある方が多いであろう豊臣秀吉とは、母親同士がいとこ同士だったという説があります。
その後、肥後に入った後、加藤清正は長い戦乱で荒廃していた肥後を再建するため、山や川の整備や新しい水田の開発に力を注いだそうです。
加藤清正の工事の成果はとても大きく、長い時間が経った現在でも使われているものがあります。
また南蛮貿易にも積極的に取り組み、領地経営を活性化させ、その結果、肥後は豊かになったそうです。
そして、その功績から加藤清正は領民たちから尊敬され、「清正公(せいしょこ)さん」と親しみを込めて呼ばれていました。
現在も、熊本県民からはその親しみのある名前で呼ばれているそうです。

熊本城の「歴史」について

熊本城は、明治10年2月西南戦争が勃発したことにより、50日以上にわたる籠城戦の舞台となりました。
城内には熊本鎮台司令長官である谷干城率いる鎮台兵3,500人が籠城し、薩摩軍13,000人と戦いました。
この戦いにより熊本城は近代戦の経験を積み、その堅牢さが実証されましたが、戦闘直前に天守や本丸御殿が火災に見舞われたそうです。
その原因については放火や自焼など諸説がありますが、現在でも特定されていません。
そして、平成28年に発生した熊本地震の影響により、石垣の崩落や建物の倒壊などの大きな被害を受けました。
しかし、翌年の平成29年には復旧工事に着手し、令和3年には熊本城天守閣の復旧が完了しました。
現在も所々の復旧作業を続けていますが、熊本城を目的とした来城者は工事の様子を見ることができるので貴重な経験となるでしょう。

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熊本市中央区にある「熊本城」の見どころ

熊本市中央区にある「熊本城」の見どころ

熊本城内は広くて、さまざまな見どころがありますが、なかでもおすすめな「天守閣」「平左衛門丸ゾーン」「竹の丸ゾーン」についてご紹介いたします。

熊本城の見どころ:天守閣

熊本城の天守閣は、先述したように工事が完了し現在は綺麗な外観を保っています。
四方に配置された「千鳥破風」と、最上階にある南北に作られた「唐破風」と呼ばれる建築スタイルが特徴です。
天守閣にある「御鉄砲御間」や「御具足之御間」、「御矢之御間」などの武器庫の名前は、すべて武器名が由来です。
また、戦いに備えて用意したとされているしかけや敵の侵入を防ぐ鉄串などが設置されています。
これらは、天守閣に訪れた際に探して見ることができるのでおすすめです。
そして、最上階の6階からは熊本市内や遠く阿蘇の山並みを見渡すことができます。

熊本城の見どころ:平左衛門丸ゾーン

平左衛門丸ゾーンは、熊本城内に造られたひとつの区画を指し、区画のなかには「宇土櫓(うとやぐら)」があります。
江戸時代から現存している宇土櫓は、国指定重要文化財に指定され、名前は宇土城主だった小西行長によって命名されました。
宇土櫓は3重5階地下1階で第三の天守と呼ばれることもあり、熊本城で唯一築城当時の姿を維持している多重櫓です。
たとえば、1877年に起こった最後の内戦「西南戦争」の際も唯一焼け残り、熊本地震にも耐えました。
そして、とくに見どころは20mにも及ぶ石垣です。
20mという高さによる迫力と、ひとつひとつ丁寧に積んだであろう石垣に目を引かれるでしょう。
この石垣の高さは、九州のなかでは最大級とされており、さらに創建時は25mにもおよぶ高さがあったそうです。

熊本城の見どころ:竹の丸ゾーン

竹の丸ゾーンは、国指定の重要文化財である「長塀」や市民の憩いの場「肥後名花園」などがあります。
長塀は、熊本地震で影響を受けましたが、一度解体して工事を進め2016年に復旧が完了しました。
熊本城内にある重要文化財のなかでは、一番目に復旧が完了し市民の喜びに繋がりました。
肥後名花園ができたきっかけは、細川家が家臣の教育を目的として園芸を始めたことからです。
そして、肥後名花園の名前の由来は「肥後椿」「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後山茶花」です。
なお、熊本地震で被害を受けたため現在は入ることができないので注意が必要です。

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熊本市中央区にある「熊本城」の楽しみ方

熊本市中央区にある「熊本城」の楽しみ方

熊本城では年間を通していくつかのお祭りが開催されます。
また、お休み処や桜の小路での楽しみ方についてもご紹介いたします。

熊本城の楽しみ方:お祭り

まず、元旦には「迎春行事」が開催されます。
迎春行事は、ししまいが舞台で晴れやかに踊ったり、新春太鼓を楽しんだりできます。
正月らしさを感じることができ、かわらけと呼ばれる伝統的な素焼きもいただけますよ。
次に、春と秋には「お城まつり」が開催されます。
お城まつりは、熊本の歴史を感じることができるお祭りです。
また、熊本城を舞台にしているため、城内でよりリアリティーを感じることができるでしょう。
年度によってお祭り内容が異なるため、そのときどきでそれぞれの楽しみがあります。
たとえば、季節の食が並ぶ出店やコンサートなど、どれも内容の濃ゆいイベントとなっております。

熊本城の楽しみ方:お休み処

熊本城の「本丸」と「二の丸」にお休み処があります。
お休み処と聞くと、ただ休憩をする場所と思う方もいるでしょう。
しかし、熊本城にあるお休み処は、来城者が楽しめるような工夫が施されています。
まず、本丸お休み処では天守閣を観賞しながらゆったりと休むことができます。
天守閣を目の前にして記念撮影を楽しむのもおすすめです。
また、熊本城でしか扱っていない商品や記念商品なども購入できます。
次に、二の丸お休み処では熊本城の模型や写真パネルを観賞できます。
普段見る機会があまりないであろう熊本城の模型を休憩しながら観賞できるのは嬉しいですよね。
そして、本丸と二の丸のお休み処の両方に、熊本城御城印があります。
熊本城御城印は来城した方のみもらうことができるため、記念品となるでしょう。
さらに、本丸と二の丸のお休み処では、それぞれ異なるバージョンの熊本城御城印があり、それぞれに特徴があります。

熊本城の楽しみ方:桜の小路

城下町を再現した桜の小路では、1年を通してさまざまなイベントが開催されています。
たとえば、4月には「春まつり」が開催され、歴史の体験やグルメなどを楽しめます。
また、令和4年の冬には、おすすめの丼ぶりを紹介する「冬の丼ぶり合戦&温活フェア」が開催されました。
肉や海鮮、旬の食材などを使った丼ぶりが5品用意され、それぞれを贅沢に味わうことができるイベントでした。
そして、イベントが開催されていない日でも、桜の小路での食べ歩きを楽しむことができます。

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まとめ

今回は、熊本市中央区にある「熊本城」の概要、見どころ、楽しみ方をご紹介いたしました。
熊本城は日本三名城のひとつに称されており、年間を通していくつかのイベントが開催されています。
また、桜の小路では食べ歩きや歴史の体験、グルメなどを楽しむことができます。


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