熊本市中央区にある熊本県護国神社は、明治時代に創建された神社です。
幕末から明治維新以降に日本のために殉職した方々を鎮魂しているほか、毎月10日には祭事がおこなわれ、多くの方が訪れています。
この記事では、熊本県護国神社の概要や見どころ、祭事についてご紹介します。
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熊本市中央区にある熊本県護国神社の概要
熊本県護国神社の概要としては、熊本市中央区にあり、熊本城公園とリブワーク藤崎台球場の間に建っている神社となります。
象徴的な大きな鳥居の奥には、緑色の屋根の立派な御社殿の神聖な姿が見えます。
由緒
明治2年に明治天皇の勅旨により、藩主の細川韶邦と細川護久が、明治維新に殉じた宮部鼎藏命をはじめとする150柱の御霊を祀るために創られました。
花岡山に招魂社を創建したのが、当初の熊本護国神社です。
昭和19年に熊本市黒髪町立田山麓に移転が計画され着工されるも、大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦況が悪化し中止になりました。
その後、昭和28年に藤崎台招魂祭場跡に移転が決まり、昭和32年に竣工しました。
戦後には、戦死者や特別公務殉職者が祀られ、敷地内には慰霊碑が建てられています。
また、この地は明治9年に熊本市で勃発した「神風連の乱」の本陣がおかれた場所です。
「神風連の乱」とは、明治政府に対し新開大神宮宮司の太田黒伴雄を中心とする士族が反乱し、熊本鎮台を襲撃した事件です。
170名が挙兵しましたが、120名余りが討ち死にまたは自決しました。
敷地内には、神風連挙兵本陣跡の碑も建てられています。
アクセス
神社は、市電の「杉塘」電停から徒歩8分の距離にあります。
公共交通を利用して気軽に歩ける距離なのが特徴です。
周辺には熊本城もあるので、セットで訪れてみても良いでしょう。
●所在地:熊本県熊本市中央区宮内3番1号
●アクセス方法:市電「杉塘」電停より徒歩8分
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熊本市中央区にある熊本県護国神社の見どころ
この神社には多くの慰霊碑と、国歌に出てくるので日本人にはお馴染みの石があります。
ほかにも、お菓子の神様がいる神社も見どころの一つです。
それぞれの見どころの概要や魅力をご紹介していきます。
多くの慰霊碑
熊本県護国神社の慰霊碑は、数の多さと、それぞれにさまざまな歴史背景があるのが特徴です。
ここには、さまざまな時代や戦争で命を落とした英霊たちへの哀悼の念が込められています。
具体的には以下のような慰霊碑が設けられています。
●大東殉国英霊顕彰碑
●従軍看護婦慰霊碑
●熊本県海軍関係戦没者慰霊碑
●独立歩兵第百六大隊戦没者慰霊之碑
●パナイ島戦歿者之碑
まずは、大東亜戦争(第二次世界大戦)で亡くなった日本の兵士たちを偲ぶ大東殉国英霊顕彰碑です。
昭和41年夏に、第6師団の終焉の地であるソロモン群島に散在する遺骨を収集して、日本に帰ってきたときに建てられました。
その際に、同じ大東亜戦争で各地で亡くなった方達も、併せて祀られています。
次に従軍看護婦慰霊碑は、昭和12年に勃発した日中戦争から大東亜戦争(第二次世界大戦)の終結までに、日本赤十字社が派遣した救護班(従軍看護婦)を祀るために建てられました。
戦争中に派遣された人数は、約3万3千名で、その内原爆などの空襲や魚雷攻撃で1,143名もが亡くなりました。
戦争に従事した女性達の慰霊に、今も多くの方が訪れています。
次は第二次世界大戦において、多くの日本人も犠牲になりましたが、そのなかの2万6千名余の熊本県海軍関係者のために建てられたのが、熊本県海軍関係戦没者慰霊碑です。
戦争の際に、多くの熊本の方が各地で亡くなった歴史を忘れないため、またその英霊に心から慰霊の誠を捧げるために建立されました。
独立歩兵第百六大隊戦没者慰霊之碑は、昭和17年2月に、熊本で編成され、中支派遣軍の第28師団(広部隊)に所属していた独立歩兵百六大隊を慰霊するために建てられました。
湖北省沙湖附近の警備や大陸打通作戦に参加し、湖南省や桂林の南方へも下っていました。
その間に811名余が亡くなり、昭和51年に復員30周年を迎えた際に建立されたものです。
最後のパナイ島戦歿者之碑は、第二次世界大戦中のフィリピンのパナイ島で守備していた独歩107隊とゲリラ軍の激戦において、亡くなられた2,000名余の方々が祀られています。
昭和52年に第百二師団独歩第176大隊有志・パナイ島遺族会によって建立されました。
また戦争関係の慰霊碑として、満蒙開拓青少年義勇軍之碑・二十三師団の碑・台湾軍忠魂碑・工兵第六連隊記念碑・満ソ殉難の碑・英霊軍旗とともにここに眠る碑などがあります。
この場所を訪れると、過去の歴史と平和への願いが心に深く刻まれるでしょう。
さざれ石
国歌に出てくる「さざれ石」は、神社内の不動岩に由来しているのでは、と言われています。
神社内にあるのは、熊本県山鹿市の北方に聳え直立している不動岩の欠片です。
山鹿市遺族連合会の計らいで、神社に奉納されました。
さざれ石は、その名の通りさざれ石(細石)で形造られています。
下部の方には苔が生えており、国歌の歌詞そのままの姿です。
菓祖新宮神社
護国神社の境内には、お菓子の神様を祀る菓祖新宮神社があります。
熊本城を築城した加藤清正は、商人や職人のために街を整備しました。
これが現在の新町と古町地区です。
そのなかでも新町地区にある旧中職人町(現在の熊本市中央区新町4丁目)に、お菓子の職人町があったため、特に明治時代にかけて大賑わいだったと伝わっています。
その一角に、お菓子の神様である菓祖田道間守命(たじまもりのみこと)を祀るほこらがありました。
しかし、時代の流れによって周辺は住宅やマンションになり、ほこらが個人宅の庭に取り残されてしまいます。
それを継承するために一新まちづくりの会やお菓子の香梅の副島会長から、熊本県護国神社に移してほしいとお願いされ、2015年に神社内に移転しました。
2015年11月22日に鎮座祭、翌23日には「第一回菓子祭り」がおこなわれ、県内外の多くのお菓子屋さんより献菓を供えました。
さらに、お菓子作り教室や野点茶会などのイベントも実施され、多くの方で賑わったそうです。
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熊本市中央区にある熊本県護国神社の祭事
熊本県護国神社では、年間を通じてさまざまな祭事がおこなわれています。
夏越の大祓は大祓神前祭のあと、毎年6月30日におこなわれる儀式です。
参道にある茅ノ輪をくぐり、日頃に受けた穢れや罪を祓います。
6月30日は、年に2回ある大祓の日で「夏越の大祓」とも言われています。
「夏越の祓いをすると千歳命が延びる」といった言い伝えもあるため、罪穢れを祓うほかに無病息災も祈念すると良いでしょう。
大東亜戦争終結平和祈願祭(旧称:英霊追悼祭)は、毎年8月15日の終戦の日に斎行され、大東亜戦争で犠牲になった英霊を追悼し、平和を祈願するための祭りです。
前日には、御神前に多くの提灯を掲げる前夜祭「みたま祭」が開催されます。
献灯も1灯につき3,000円で、どなたでも可能です。
夜、境内に提灯が点灯している光景はとても幻想的です。
8月13〜16日まで点灯しているので、お盆の季節に訪れてみると良いでしょう。
ほかにも、11月23日には新嘗祭が斎行されます。
新嘗祭は、天皇陛下御みずから五穀の新穀を天神地祇に勧められ、みずからもこれを食され、その年の収穫を感謝される儀式です。
新しい収穫の恵みに感謝し、神への感謝の気持ちを表すため全国各地の神社で斎行されています。
ほかに、4月と10月に斎行される春季大祭と秋季大祭は、年に2度の大祭です。
その日には、奉納行事が多く執りおこなわれるので、参列してみてはいかがでしょう。
さらに、毎月10日の午前10時に斎行されるのが月次祭です。
祭事の前に、早朝から崇敬者や遺族の方々で清掃が実施されます。
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まとめ
熊本市中央区にある熊本県護国神社は、明治維新以降に創られた比較的新しい神社です。
内部には多くの慰霊碑があるほか、国歌に出てくるさざれ石や、お菓子の神様が祀られた菓祖新宮神社があるなど多くの見どころがあるため、ぜひ訪れてはいかがでしょうか。
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